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識字教室「ひまわりの会」 学んで 生きる喜び実感

学校に通えず、読み書きができない人たちを教える識字教室の営みが続いています。阪神大震災の翌1996年に生まれた神戸市長田区の「ひまわりの会」もその一つ。毎週土曜、在日コリアンや中国人、日本人のお年寄りらが「学校」を追体験しています。


識字教室で熱心に文字を学ぶ金用順さん(右)=神戸市長田区で  「生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」

先日、授業の様子を見たくて出かけた長田公民館の一室から、唱和の声が聞こえてきました。映画「男はつらいよ」でおなじみの、寅さんの口上。このセリフをなぞって、生徒たちはそれぞれ、自己紹介の一文を仕上げるのです。

「女もつらいよ」。始まって間もなく声を上げ、周囲の笑いを誘ったのは金用順(キムヨンスン)さん(92)。出席した17人中、最高齢です。

生まれは、日本占領下の韓国。学校に行けないまま結婚し、来日したのは22歳の時でした。息子3人の育児と仕事に追われ、勉強どころではありません。長い間、自分の名前さえ書けなかったといいます。

息子らは大学を出て結婚し、孫も生まれ、いつしか年を重ねました。外に出ないのを心配してか、義理の娘に夜間中学の神戸市立丸山中学西野分校への入学を勧められ、79歳にして初めて校門をくぐったのです。

2年後の95年、阪神大震災に襲われました。分校も損壊し、閉鎖を余儀なくされます。学びやを失った金さんらに教師やボランティアが手を差し伸べて発足したのが、ひまわりの会。96年9月のことでした。

「漢字が難しい。覚えてもすぐ忘れてしまって、先生を困らせてばかり」。そうこぼしながらも、金さんは市内の自宅から地下鉄で一人、通学しています。

この日は、今春の花見を題材にして作文も書きました。〈はやかったから、あんまり、さくらさいてない。いまね、まんかいや。もういっかいいきたい〉

40年に来日した宮本鳳水(ほうすい)さん(82)も韓国では農作業の手伝いに忙しく、学校に行けませんでした。日本でも6人の子どもを抱え、食べていくのがやっと。知り合いに誘われてこの会に参加し、勉強を始めたのは2年前のことです。

土曜はいつも朝から落ち着きません。何を着ていくか、迷うのです。この日はスカーフでおしゃれをしてやって来ました。「作文は頭痛いよ」と言いつつ、目は輝いています。


会の発足にもかかわった桂光子さん(70)は西野分校の元教師。今も読み書きを教えながら思います。

「みなさんの学びたいという気持ちの強さに、私たちが後押しされている」

3月、生徒らの作文や書を集めた作品展を公民館で催しました。テーマは「戦争」。宮本さんはこんな作文を寄せました。〈日本がまけたから、上の人はがくんときて、小さなこえで『まけた』っていった〉

金さんも、出品作でこう振り返っています。〈むかしのこと、おもいだしたくない。…はやくしんだひと、かわいそう〉

戦争の時代に翻弄(ほんろう)された無念、生きる喜び……。生徒らは学びながら、自らの人生を見つめ直しているのでしょう。金さんはこう漏らしました。「できるなら生まれ変わりたい。若い時から学校に行きたい」

ひまわりの会(078・512・3703)は9月で10周年を迎えます。スタッフは主婦や学生、元会社員ら約10人。みんなボランティアです。人手も運営資金も足りませんが、これからも活動を続けます。誰もが学べる場を、守っていくために。

(2006年04月23日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/izumi/iz60423a.htm