青春学校:学ぶ喜び追った半生 娘が作った夜間学級に通い続けた故・柳井さん

◇最後の願いは公立夜間中学


北九州市八幡西区の自主夜間学級「青春学校」ゆかりの在日2世、柳井千代子(本名・張守祚)さん(75)が3月30日、亡くなった。学校は94年5月、長女美枝(同・金美子)さん(51)が呼びかけ、読み書きなどを学ぶため開設。戦中戦後に青春時代を過ごした千代子さんの「私には青春がなかった」という言葉から名付けられた。千代子さんは「公立の夜間中学の設立を」と願い続けていた。【佐藤敬一】


千代子さんは小学5年の時、疎開先の福岡市で終戦を迎えた。足の不自由な母親に代わって弟や妹3人の面倒をみて、炭鉱で捨てられた石炭を拾って家族の家計を支えた。学校には小学2年ぐらいまでしか満足に通えなかった。


19歳で結婚し、子供3人を育てた。「読み書きができずにどれほど苦労したか」と常々語っていた千代子さん。子供の宿題を教えられなかったのが切なかったという。


92年、北九州大(現北九州市立大)生だった美枝さんが偶然、テレビ番組で公立の夜間中学の存在を知った。千代子さんは「そんな学校があるのであれば行きたい」と喜んだ。だが、北九州市にはなく、美枝さんは教授らと相談。「自分たちでつくろう」と「青春学校」を設立した。


千代子さんは「青春学校」で読み書きを学び、64歳で定時制高校に入学。孫のような同級生と4年間机を並べ、ピンクのチマチョゴリを着て初めての卒業証書を受け取った。「文字の意味が一つでも分かった時は宝物のようにうれしい」「一つでも覚えると自分のものになることがとても幸せ」。毎年発行する「青春学校」の文集には、学ぶ喜びとスタッフへの感謝の言葉があふれた。


娘が作った「学校」で文字通り「青春」を取り戻した千代子さん。ずっと「公立夜間中学の設立を」と言い続けた。3月18日にできたばかりの文集にも「私達生徒が安心して勉強ができますよう一日も早く公立の夜間中学校をお願い致します」とつづった。タイトルは「一日も早く」。願いはかなわないまま、自宅で亡くなった。


美枝さんは「母は、学ぶことは自分を幸せにし、人も幸せにする、と教えてくれた。16年前の母のように『学校に行きたい』と心の中で叫んでいる人がたくさんいると思う。母が願い続けたように、教育を受ける機会の平等を制度として認めてほしい」と話している。


毎日新聞 2010年4月9日 西部夕刊

http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20100409ddg041040008000c.html